今日も朝

健康と趣味と

弁当を作ってみた。〜個性とは何か〜

こんにちは、タダヒコです。

こういう休みが続く時はたまには弁当でも作ろうか。
そんな感じ作った弁当。
なかなか女性と交流をしなかった私からすると、
お付き合いの条件みたいな物に家庭的なんて要素はいらないように感じる。
そんなもの後から出来る様になれば良いし、出来ない所は私がやれば良いから。

まぁ、そんな事を言っても私が大した事ないので、別に何も気にしないというスタンスなだけなのだが...

とりあえず弁当をアップして俯瞰に自作弁当を見てみようと思う笑
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さて、個性とは一体なにか?
そんな事を考えてみた。
世の中は個性で溢れているのか?それとも個性がないのか?
そもそも、個性自体どう言う事だろうか?
例えば、子供の時、周りと違う考え方や行動をする。
そうするとどうなるか?
するとその子を親が周りと違う事を指摘して直させる。
すると、まわりの子は違いに気付きイジメになる。
それが大人の場合はどうだろうか?

これはもっと酷く病気と言うことになる。
発達障害、知能遅れ、社会不適合者。
いやいや、一体誰が何の物差しでこんな事をいい始めたのか?
仮にそのズレが悪いのなら、短所長所を見極めるのが組織だろうし、はたまた、自分自身そういう自分を理解したり考えないといけない。
つまり、非難ではなく協力や歩み寄りが大切だ。

現代社会では、年々新しい病気や風潮が生まれる。
それは、色んなものに階級を作り差別する。
小さな争いを絶え間なく続ける。
幼少期からの受験戦争や習い事。
まだ子供なのに、大人と同じかそれ以上に忙しい毎日だ。
能力を高めるためと言って勘違いした親がそう教育する。
それが現代社会の構図である。
知識ばかり増え、最近子供らしい子供は珍しいくらいだ。
まだ低学年くらいの小学生がテレビに出る。子役くらいならまだしも知識比べての番組でだ。
公園では遊具は減り、危険だからと言って外で遊ぶのは禁止。自然と触れたり、子供達で考えて遊ぶような感性を磨く事より、スマートフォンなどの人工物を使った刺激的教育の増加。

そのような刺激は、大人でいう金銭欲と同じで満足を得るにはより強い刺激が必要となる。
人よりも出来たらエライ!競争に勝ち抜く為に褒める。
一体誰のためか?
子供のため?いや、親のマスターベーションに過ぎないだろう。

このように常に競争を意識させる考え方は個性を尊重と言えるのだろうか?社会でも、AIやロボットにより労働者は減る言われている。
確かに効率や同じ仕事をするなら休みのいらないロボットの方が的確でパフォーマンスも良いだろう。
しかし、仕事とは独りで成り立つ物はなく、必ず人が絡む。
人が絡む以上人の心がわからないとただの作業になる。
将来ロボットが人間を追い越すとか言ってる方があるがそれは効率やパフォーマンスといった労働者を道具として見ているからだ。
知識ばかり鍛えて能力の事を個性という今、
そして、土俵が違うのにロボットと比べて、色んな所で階級をつくりながら、リベラルとか平和とか見た目の良い言葉で片付ける。

小さな頃から自然と触れ合い観察力を鍛えて心を育てていけば、他人と自分を比べるのではなく、違いを理解しその特徴を活かしていける様になると私は思う。
葉っぱ一枚一枚が大きさや色形が違う様にヒトは皆違う。
それを今は、同じにしようと何でも決め事や差別をする。

個性。
それは、ヒトを労働力の道具と見た時の能力であって決して考え方とか性格ではない。
だから、少しズレると扱いが変わる。

しかし、本当は考え方や性格は人それぞれだし、それを判断する事は出来ないはずだ。それが個性であり、ヒトがヒトたらしめるものなのだから。